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Yamcha

広州の
飲茶楼

「食は広州に在り」という言葉通り、中国広東省の都市、広州市にはあらゆる食材と食の文化が結集されている。街をあるけば、そこら中に大きな文字をあしらったお店の看板を掲げている飲食店が、大小問わず、庶民派から高級路線まで問わず、道を埋め尽くしている。

印象的なのは、一杯百五十円のワンタン麺でも満足に昼食を終えられる「食文化」の懐の深さである。「天は食を以って人を為す」という言葉に忠実なのだろうか、身体が満足する食事に対するアクセシビリティが非常に高い。実際、大学の食堂・旧市街の屋台・繁華街のドリンクバー・デパートやホテルのレストランなど、存在するありとあらゆる飲食店をこの1年間なしくずしに廻ったが、満足できなかったことは一度もない。そんな、毎日の食の幸せに包まれた牧歌的な雰囲気が広州であると、私の身体は認識している。

さて、広州の食文化を代表する食事のカテゴリが点心であることはどの広州人、いや中国人でも疑いがないだろう。心に点すと書いてDim sumである(Dimsumは点心の広東語読み)。実は、他の古く日本が中国から持ち帰った諸文化同様、当時中国に留学に訪れた僧侶が、点心の概念やレシピを日本に持ち帰って、あの高貴な日本の茶懐石を形作ったとされている(茶懐石とは懐石料理の元の名前。もともとは一杯のお茶を最高においしくいただくための、準備としての料理だった)。

そんな食事の概念と、お店自体に、私はずっと魅かれている。

〈概念〉

色々と人によって定義は異なると思うが、少量で栄養価が高い食事をお茶と共にいただき、適度に腹を満たす。活発に、身軽に一日を送れることが出来るように。という解釈が一番しっくりくる。そして、この食事を気の知れた仲間と分かち合いながら会話を楽しむための空間、という価値観も加えられる。

一皿一皿は焼売三つ程度のごく少量で、別になにも美味しいものをたらふく食べるということではない、ただ一日に必要なだけの食を正しく慎ましく身体に迎え入れるという侘びにも似た心理世界が垣間見える。

[笑うチャーシューマン]

Liwan district の Fei Yi Liang Dian にて

〈仕組み〉

・早茶(モーニングティー)、午茶(アフタヌーンティー)、夜茶(ナイトティー(?))とあり、早茶が最も重要となる。朝、飲茶楼に赴くことは”霸位”日々暮らすということの代名詞でもあり、”一盅两件”一杯のお茶と二種類の点心をいただくのが伝統的なセオリー。

・お茶自体はプアール茶、ウーロン茶が多く、これらの茶は製造過程で発酵プロセスを経ているため茶葉のカフェイン含有量が低い。一方で、この発酵茶特有の成分が胃腸に作用して活発化されることとなる。つまり、朝のまだウォームアップできていない体内を程よく覚まし、食べ物を受け入れる体勢が整えられることとなる。

・点心の食材は、食材としては基本的になんでも、近くで手に入る食材を使っている。広州は珠江デルタという中国で三番目に大きな運河を有していて、昔から国内国外の交易が盛んであった(清代、中国が鎖国する中で唯一国際貿易をしていたのがこの広州あたりの地域)。また、米を積極的に使用することは、上海や北京など大陸の中腹から上にかけての点心と大きく異なる特徴だといえる。

・そして点心の技(料理法)は、多種多彩。蒸す、炒める、茹でる、揚げる、など日本でみかける基本的なプロセスはしかり、見た目で食べる人を楽しませるための工夫、食材の味、形、香りを活かすための工夫が随所に施されている。無論、小麦粉や澱粉などの粉類を形作るまでの一連の作業は、一番基本的な点心の技である。点心の概念に沿っていれば、料理は何でもいい。

■ 広州酒家本店

訪れたのは二〇一七年二月、南国広州でも薄手のダウンを着ないと体が冷えてしまうくらいのちょっとした冬の時期に、広州の大学で四年間学業を修めた日本人Aさんの案内のもと、予約されていた三階の二人にしては大きめの丸テーブルに席を付けた。

どこの飲茶楼でも、席に着くとお茶の小分けパック(三グラム程度)が同時にポンと置いていかれて、後は手前で目の前で湧いているお湯ポットから急須に湯を注いで茶を煎じて配する、という流れはほぼ一緒である。ここ広州酒家のその一連のプロセスを実施するためのいわゆる煎茶セットは、一番中華世界の赴きがあるデザインであると感じる。

電気ポットではなく固形燃料の火で鉄瓶のような重厚感のあるポットを熱し常に九十度以上のお湯をスタンバイしている。これだけでも、なんだか気分がアガッて思わず何杯もおかわりをしてしまう(飲む器も小さいので気を付けないと本当に何十杯も飲んでしまう)。

やはり本店としてのプライドがあるのだろうか、中にいると思わず自分が特別な存在なんじゃないかと思ってしまうほどの豪華でSpacyで、かつ調和がとれている内装が施されていて、写真に収めずにはいられない。ちょっと席を立ってトイレにいくだけでも、ワクワクする。席についてくれている服務員は、安っぽくないと一目でわかるチャイナドレスを着ている。(ちなみに食は広州に在り、という言葉はこの店から来ているらしく、入り口には丁寧に日本語でその文句が掲げられている。)

そして、もちろん料理はおいしいので大満足。

広州酒家の菓子ブランド、利口福というものもある。詳しくは知らないが、メニューに存在するどちらかというとスイーツに含まれる品々を自店内の特別領域にカテゴライズしブランド化し、そのブランド単独で店を出すということをしているように見える。

繁華街の路面で、駅のKIOSKで、スーパーのお菓子売り場で、空港のお土産屋さんで、この「利口福」ブランドにお目にかかれる。広州の代表的な食文化とは、点心であり、点心界の重鎮とは、広州酒家なのだと知らされるのである。

■ 伴渓酒家

由緒正しい歴史ある広州の街並み(老広州)を拝みたいなら荔湾地区を歩けばよく、途中、荔湾湖公園の隣にというかこの大きな公園と一体となっている巨大なリゾートホテルのような飲茶楼が伴渓酒家である。

なんといってもこの立地の仕方である。市民の生活インフラとして通常「公園」がどこのくにでもあり、中国という国では特に、公園の都市の中での役割が大きいと感じるが、その生活インフラの領域に堂々と(大体公園面積の三分の一くらい)デカデカと(建物はほぼすべて一階建てで隅々まで歩き回るのに二十分ほど要する)飲茶楼が根をおろしているのだから、あぁ飲茶楼は広州市民の生活インフラなのだ、と納得せざるを得なくなる。

この広大な敷地は、いくつかのエリアに分けられていて、完全な室内、ちょっとした野外空間、湖を眺望できる全面ガラス張りの部屋、湖上にポツンと浮かぶように設置された個室、などそれぞれで席料も異なる。廊下を歩いていると、機敏に各エリアと厨房の間を行き来している服務員とすれ違う。

私が訪れたのは二〇一七年十二月、まだ南国の冬は訪れておらずパーカー一枚で荔湾地区を闊歩していた際、この巨大な存在感の前に吸い込まれるようにして入店し、一番庶民的と思われる室内の間に席を付けた。室内とはいえ、ざっと二百人くらいは収容できそうな空間で、老若男女問わず午後3時から点心をパクついている。風貌から推察して、地元の人々の割合が多い。

他の荔湾地区の飲茶楼もそうだが、これだけ中国全土、いや世界中に名の知れた広州の飲茶文化の実店舗だというのに、圧倒的に親しみやすさが漂っていて一人で外国人でも気兼ねなくお邪魔できる。文化としてもてはやされたから色々頑張って装飾をして覚悟して経営をしているのではなく、元々その場に自生していた状態をあくまで淡々と続けていて今がある。繰り返しになるが「飲茶楼は生活インフラ」なのだから何を当たり前のことをいっているのか、という話なのだが。

この余裕の雰囲気を自分自身も味わいつつ、大らかな気分で時間を過ごす。オリエンタルな重厚感のある内装の中で、ストリートファッションの若いカップルやギャンブル狂風の灰色ジャージ姿のオヤジ仲間が点心をつまんでいて、一体感が漂う。

■ 点都徳

二〇一八年現在、一番勢いがある飲茶楼といえば必ずこの飲茶ブランドになる。

広州から始まり、近年は中国全土にみるみるチェーン展開をしている。Wechat上での店舗運営もなかなか見事だ。アプリ上からオーダーができるのは当たり前で、プロモーションの適用や入店時席での滞在・オーダー状況の管理、各点都徳店舗の混雑状況をリアルタイムで確認することさえできる(週末のお昼時など三十分、一時間待ちが当たり前なのでこれが結構功を奏する)。

友人の話によると現在の社長が優れた経営手腕の持ち主で、近頃になって店の革命的な躍進がみられるようになったという。元々は、一九三三年から点都徳は始まっている。

私も、この点都徳に行くことが一番多い。なにしろ市内のどのエリアにもあるし、値段もそこまで高くない割には、店内は整然としてスタッフのサービスもいい。フードも、お馴染みの点心が綺麗に盛られてきて、大満足。それと、お茶を煎じる湯が常に銅器(?)のヤカンで五徳セットをもって熱せられているのも情緒的でうれしい。内装もゴリゴリではないけど煌びやかなオリエンタル空間を堪能するには十分なインテリアセットである。

たぶん、この社長の今風な飲茶楼の運用に私の生活サイクルが見事にはまっているのだろう。社長の描くペルソナには、二十代男性、アジア先進国出身、異文化体験が好き、合理主義のクアンさんがいるのかもしれない。ぜひ一度お会いしてアジアにおける飲茶文化の意義と今後についてお話を伺いたい。

■ 下町の飲茶楼

門戸の幅が三メートルくらいで、最低限のファシリティが整っている中で、明らかに地元の人々で朝の九時からガヤガヤしている。もはや店前に簡易的なテーブルとイスを並べて路上が飲茶の雰囲気に支配される。かなりこぢんまりとした水餃子のお店がお客さんに数元の餃子をプラスチックカップで提供し、別で購入した涼茶(お茶に甘い味付けをしたソフトドリンク)を片手に路上で飲食する。このような風景も飲茶文化だといえるし、むしろ飲茶行為の母数として一番多いだろう。

小気味いい広東語をBGMに旨い飯と旨い茶さえいただいていれば、酒や女や不安定な将来のキャリアなど、ほとんど気にならなくなる平和な心理が訪れる。






■ 路上の飲茶

別に豪華な飲茶楼で皮の透き通った蒸しエビ餃子を食べるだけが広州の飲茶文化ではない。街を歩いていれば、餃子の店、西洋菓子の店、羊羹の店、MIXティーの店などが忙しく目に飛び込んでくる。これらの点心を適量ピックアップして道端のそのへんやどっかの店の軒先の小さなイスで飲食すれば、そこはもう飲茶空間である。


飲茶における点心の発展には、鰥寡孤独というかつての中国の社会的背景を無視できないと、中山時子氏は主張している。


“だが、この社会のかげにわれわれは決して見逃すことの出来ない社会の現象がある。

それは中国古来の為政者が国家の問題として取り上げた問題の一つに、「鰥寡孤独(やもお・やもめ・みなしご・ひとりもの)の人々をいかに救済するかということであった。

 中国には近年に至るまで、鰥夫(経済的に結婚のできない男性)が街中のいたるところで、体を張って肉体労働をしていた現実があった。彼らも自分の食のためには最低限度の食物を得なければならない。このような現状が出来合いの点心の需要を高め、同時に手っ取り早くありつける職業としてさまざまな点心作りや点心売りを誕生させていたのである。

 多くの失業者を低賃金あるいは無賃金で雇うことができたために点心を量産することができ、多くの人々に提供できた。一つひとつを手で作らねばならない点心は人手、それも低賃金で使える労働者がいなければ、安く大量に売ることはできなかったのである。

鰥寡孤独が点心の発展に寄与していることは、一つの社会問題ではあるが、点心製作の発展のうえでは重要な要素の一つとなっていた。”(点心の知恵・点心のこころ)


街中のどこに行っても、誰でも、心と身体を満たすことが出来る広州の飲茶文化は偉大だと感じる。